■Rain Drop 第8話

 


 いよいよ明日は、父さんに会いに行く日。
 嬉しいような戸惑ってるような、ちょっと複雑な気分で旅行の準備をしてた。
「準備終わったか?…なんだ、その荷物」
 駿があきれたように笑う。
 俺の周りには荷物の山。複雑な気分の割には旅行前のワクワク感もあって、あれもこれもと用意したらカバンに収まりきれなくなってた。
「一泊なんだし、そんなにいらないだろ。ゲームもそんなに出来ないぞ」
「あ…やっぱりぃ?」
 仕方ない、UNOだけにするか。ボードゲームとオセロなんかはあきらめよう。
  トントン
「大樹、ちょっといい?」
「うん…」
 あれ以来母さんとはあまり会話をしてなかったから、少し身構えてしまう。
「これ…宿泊費と、お小遣い。新幹線のチケットもあるから」
「え…いいの?こんなに」
「チケットは父さんからよ。昨日送られてきたわ」
 お金とチケットを受け取る。ちゃんと二人分あるじゃん。自分の小遣いだけでは心もとなかったから助かった。
「あと、これ渡してちょうだい」
 母さんは白い封筒を俺に手渡した。
「明日は気をつけて行って来るのよ。…駿君、大樹をよろしくね」
「はい」

 


 母さんは固い表情のまま部屋を出て行った。
 白い封筒の中には、何が書いてあるんだろう…
 明日父さんに会えば、全てがわかるんだ。
 父さんと駿の父さんの事。二人がお互いをどう思ってたかってこと。
 いつもは夜遅くまでしゃべってたりする俺たちも、この夜は会話も少なく早めに眠った。

 


 新幹線の移動は快適だった。朝のんびり出て、夕方には着いた。
 目的地について新幹線を降りると、高原特有の爽やかな風を感じた。
 そういえば、駿と学校以外へ出かけるのは初めてだ。
 ジーパン姿の駿もかっこいいなぁ…なんて思ってしまう。
 駿の髪と白いシャツが風になびいて、モデルみたいにかっこいい。
「思ったより早く着いたな。…ドコに迎えに来てくれるんだ?」
「えーーっと、南口を出たところに白樺のベンチがあるんだって。そこにいてくれ…って言ってたみたい」
「南口か。あっちだな」
 駿に先導してもらって、無事に待ち合わせの白樺の木で作られたベンチに着いた。
「なんか高原っぽいよね、白樺のベンチなんて」
「あぁ。とうとう来た…って感じだな。初めて来たと思うんだが、懐かしい感じがする」
 駿は、遠くの方を見つめてた。
 俺達が住む町よりも、低い場所にある雲を見てた。

 


 …父さんは、ここに住んでるんだ…

 


「大樹っ」
  ドキン
「父さん…?」
 半年以上ぶりに会う父さんは、幾分か痩せて日焼けして…しかも髪まで伸ばして結んでた。
 こんな父さん、初めて見た。
「よく来たな。…君が駿君、か。初めまして」
「初めまして、神野駿です」
「……驚いた。外見だけでなく、声までハヤトとそっくりなんだな。…あそこに車が停めてあるから、行こうか」
 ”ハヤト”って、駿の父さんの事だよなぁ。
 父さんの表情はよくわからなかった。…すぐに背を向けてしまったから。


      

 ペンションに着くと、もう日が暮れててすぐに夕飯の時間になった。
 すべてが丸太で作られたペンションは温かみがあって、他にも宿泊客がいて賑やかなせいか活気があった。
「父さんはまだ仕事があるから、終わったら話をしよう。ここのメシはうまいから、たくさん食べろよ」
「うん、わかった」
 父さんの言うとおり、夕飯はすごくおいしかった。
 山の幸やパイの包み焼きやらのちょっとしたフレンチまで、普段食べられないような物ばっかりで大満足だった。
「う〜、食った、食った。おいしかったぁ」
「あぁ」
 ここに着いてから、駿の口数が減った。緊張でもしてるんだろうか。
 考え事してるようにも見えるし、食事も半分くらいは残してた。

 


 そのまま部屋には戻らずに、ラウンジにあるテレビを見ながら父さんの仕事が終わるのを待った。
 いつも笑いながら見てる番組も、今日はBGMがわりになってて全然集中出来なかった。
「…待たせたな。俺の部屋でいいか?」
 父さんの後に付いて、部屋に入る。
 部屋は片付けられていて…っていうより物がなくて、生活感がないように感じた。
 ソファに座ると、父さんがコーヒーを入れてくれた。
 そのうち、雨の音が聞こえ出した。
「高原の天気は変わりやすいからな。さっきまで星が出てても、一瞬で雨に変わる。そこが魅力でもあるんだがな」
 俺達に向かい合うようにして、父さんもソファに座った。
「俺に聞きたいことがあるんだろ?なんだ?」
 父さんがそう切り出すと、駿はあの手帳を差し出した。
「…これは、父が生前に使っていた手帳です。そこにはメッセージと写真が残っていました。…そのメッセージに書かれた”トモ”というのは、貴方のことでしょうか?」
 そのメッセージが書かれたページをめくると、父さんの顔つきが変わった。
 しばらくそれを見つめて、口に手を当てた。
「……あぁ。それは俺の事だ」
 父さんは意を決したように、淡々と昔の事を話し始めた。
 ときおり涙を浮かべながら…

 

「…俺とハヤトが出逢ったのは、お互いの彼女…雪子と魅夜ちゃんとのダブルデートの時だった。最初はタイプも正反対だし、顔も頭もいいハヤトは苦手だと思ってた。…けど、話すうちにいいやつだなって思ってきてすぐに打ち解けたんだ。それからよく四人で遊びに行くようになって、俺とハヤトだけで遊びに行くこともあるくらい仲良くなった。二人でいると話が尽きなくってな、すごく居心地がよかったんだ。
 高三の時に、ハヤトが”俺を好きだ”って言って来た。その時には俺もハヤトの存在を大きく感じるようになってて、それを受け入れた。…でも、すぐに雪子や魅夜ちゃんに気付かれてしまって、俺達を非難したよ。二人だけで会わせないように、監視するようになった。その当時は携帯もないし、連絡も取れなくなって…そのうち受験も始まって会わなくなったんだ。
 卒業間近のある日、ハヤトから手紙が届いた。中には新幹線のチケットと地図と手紙。俺は雪子に”親戚の家に行く”って嘘をついて、その新幹線に乗ったんだ。…駅に着くと、ハヤトが待っててくれた。二泊三日の旅だったけど、その間は誰にも邪魔されずに二人だけでいることが出来た。特に何を話すわけでもなく、ただ一緒にいることだけが幸せだったんだ…。
 最後の日、ハヤトは俺に”サヨナラ”って言った。…俺も、”サヨナラ”って言って別れた。帰りの新幹線のトイレで大泣きしたよ。それが永遠の”サヨナラ”になるなんてな…。俺にもう少しの勇気があったら、”サヨナラ”なんて言わずに済んだのに……」

 


 父さんは、天を仰いだ。
 涙が零れるのを耐えているんだろうか…。
 あまりに淡々と話してるけど、本当はもっともっと葛藤だらけだったと思う。
 駿もずっとうつむきながら聞いてた。
「それから、ハヤトとは一度も会ってない。…いや、最後に見たのは葬式の写真だった。それを見たとき、俺の中で何かがキレたんだ。…大樹には申し訳なかったが、俺は離婚の道を選んで仕事も辞めてこの土地へ来た。…ハヤトと最後に過ごしたこの高原で、残りの人生を過ごしたかったんだ…。みんな父さんのわがままと、勇気のなさがこんな結果になってしまった。…すまん、大樹」
 深々と頭を下げる父さんに、何て声をかければいいかわからなかった。
 この高原で駿の父さんと過ごしたのはたった三日だったのに、その思い出だけでこの土地に来た父さんの想い。
 それだけ二人の時間は幸せで大切だったんだ…って思うから。
 きっと俺も同じ状況になってたら同じことをするかも知れないと思ったし、責める事は出来なかった。
「父さんは……駿の父さんが、大好きだったんだね」
 ようやく口に出たのは、それだけだった。
 父さんは「あぁ」って即答した。
 手帳を胸に当てて、父さんは掠れるような声で言った。

 

「ハヤト……俺も逢いたかったよ」

 

 駿の父さんには届いただろうか、この声が。
 雨の音に消されないで、天国に届きますように…

 


 二人の想いが、長い年月を超えてようやく通じ合った瞬間だった。

 


 駿は先に部屋に戻って、俺は父さんと二人だけになった。
「父さん、母さんから手紙預かってきたんだ」
 白い封筒を渡すと、父さんはすぐに封を開けて読み始めた。
「……雪子」
 母さんの名前を呼ぶと、父さんは泣いた。
 そして、その便箋を俺に見せてくれた。

 


 ”トモへ。
 貴方と結婚して、大樹を授かる事が出来て私は幸せです。
 今までごめんなさい。
 これからは、貴方の人生を歩いてください。  雪子 ”

 

 母さん…
 いつも自分勝手で、気が強い母さん。
 その裏でこんな想いを抱えてたんだ…
 父さんにつられるようにして、俺も泣いた。
「大樹。…お前は、お前の思ったように生きるんだぞ。……駿君のことは好きか?」
 突然の問いだったけど、俺はしっかりとうなずいた。
「そうか…。それでいい。それで…」
 父さんは俺の頭を撫ぜた。
 久しぶりに触れる父さんの手は、大きくて温かかった。
 クラリネットを吹くと褒めてくれた…あの手のままだった。

 

 部屋に戻ると、灯りはついてるのに駿の姿が見えなかった。
「…駿?どこにいるんだ?」
 トイレや風呂にもいないし、ベッドにも…
 まさかと思ってベランダに行くと、雨に打たれてる駿の姿があった。
「駿!?何やってんだよ!風邪ひくってば!」
 冷たくなった腕を掴んで、部屋の中に引き入れる。
 すでに身体はびっしょりで、全身が冷たくなってた。
「すぐに風呂に入れよ。今、お湯入れてくるから。……ちょっ、駿っっ!?」
 力強く抱き締められる。
 きつく、きつく、痛いくらいに。
「……いやだ、俺はオージュと離れたくない」
「駿…」
「”サヨナラ”なんて言いたくない…」
 冷たい唇が、俺の口を塞ぐ。
 いつもの優しいキスじゃない、こんな荒々しいキスも出来るんだ…
 すぐに息が苦しくなって身をよじると、そのままベットに押し倒された。
「えっ、ちょっと、駿!?」
「…ごめん、オージュ。俺…不安でたまらない。今すぐ俺だけのものにしたい。オージュが欲しい…」
  ドクン
 駿が苦しそうな表情で、俺を見てる。
 不安…俺だって、不安だ。
 父さん達のように別れる事になったら、俺達はどうなってしまうだろう…?
 この力強い腕が、力強い想いが、俺以外の人に向けられる事なんて考えたくない。
「……いいよ、駿。俺も…駿が欲しい」
「オージュ…」

                  

 この時間、が。


 この瞬間、が。


 永遠に続くなんて、保証はない。


 それでも、永遠を望んじゃダメですか?

 

 

 苦しいほどの切なさと、相手に向ける愛情がぶつかり合う。
 未来への不安を打ち消そうとするかのように、お互いを求め合った。
 初めての行為なのに、どこか懐かしさを感じながら…
 俺達は”ひとつ”になったんだ。

 


 夜中に目を覚ますと、すぐ横に駿の寝顔があった。
 初めて見る…駿の寝顔。
 この旅は、初めてづくしだなぁ…
 なんだかすごく愛おしくなって、駿の頬にキスをした。
 そしてまた眠りについた…

 

  ピチチチチ…
 小鳥の声と、爽やかな日差しに気付いて目を開ける。
 横を見ると、駿がいなかった。
「…あれ、駿?……ってぇぇぇぇ〜〜っっっ」
 身を起こすと、腰に痛みが……ううっっ、痛いっっ。
「おはよう、オージュ」
 爽やかな風とともに、駿がベランダから顔を出した。いつもの笑顔で。
 …ううん、いつもよりも数倍綺麗な笑顔だ。
「……おはよ」
「大丈夫か?起き上がれるか?」
「うっ…う〜ん…。あいたたたた…」
 身体がおじーちゃんになってるよ、俺。けだるいし、あちこちが痛いし。
「バスタブにお湯張ってあるから、少し身体を温めておいで」
「うん…そうする」
 駿に支えられてユニットバスへ。
 一人になって服を脱ぐと…身体にはいくつもの赤い痕があって……。
 うわわわわわわわわわっっ。
 一気に体温上昇。
 湯船に入って、顔にバシャバシャとお湯をかける。

 


 ……俺、駿としちゃったんだ……

 


 駿の手や、熱っぽい目や、息遣いなんかをリアルに思い出しちゃって…あぁぁぁ〜、もうっ、朝からやばいってば!
 ううっ、のぼせそうだ…

 


 あっという間に帰る時間になって、父さんが駅まで送ってくれた。
「…母さんや魅夜ちゃんによろしくな」
「うん。父さんも元気でね。また遊びに来るよ」
「あぁ、いつでもおいで。……駿君」
 父さんは駿に手を差し出した。
「大樹のこと、よろしく頼むよ。俺の大事な一人息子だから」
 ……父さん。
「はい」
 駿は力強く返事をすると、二人はきつく握手した。
 それを見て、少し泣きたくなってしまった。
 ありがとう、駿。父さん。俺は幸せです…。

 

 俺を愛しく想ってくれる人がいる。
 俺を大事に想ってくれる人がいる。

 

 それはすごく嬉しいことで、すごく幸せなことで。
 それを口にしようとすると、なぜか泣きたくなるんだ。

 

 その時の涙は、きっと温かいんだろうな。
 『幸せ』がぎゅっと詰まった涙だから。

 

 そんな涙を枯らさずにいたい。

 

end