■奏鳴曲〜君だけに奏でる恋歌〜 第10話

 

 ――――木曜、午前八時十五分


「昨日は忙しかったんですか?」
 登校した早々に教室の前で玉木に問いかけられて、昨日メールを返信しなかった事を思い出した。すっかり忘れてた。
「…悪い」
 一応謝ってはみたものの、玉木は不満そうに俺を見てた。
 メールの返信を一度忘れたくらいでそんな眼しなくてもいいじゃねぇか。
 少しムカついて「じゃ」とだけ言って、さっさと教室に入ってしまった。あ〜…朝から気分悪い。
「おい、蒼っ。ありゃねぇんじゃね〜の?」
 教室に入れば入ったで、祐樹に腕を掴まれてベランダへと連れて行かれた。
「…んだよ。メール返すの忘れてただけだろ?ちゃんと謝ったじゃねぇか」
「態度が悪いんだよ。お前が冷たいって、樹里ちゃん嘆いてたぞ」
「付き合ってもないのに、なんでそんなこと言われなきゃなんねーんだよ」
「それだよ、それ!その微妙な距離が悪いんだよ。早く樹里ちゃんと付き合っちまえよ!そうすりゃ樹里ちゃんだって、あんな不安な顔しなくても済むんだしさ」

 


 ……玉木と付き合う?
 正直、そういう気は全然なくなってた。
 女と付き合えば気分転換になるかも…って思ってた自分はいなくなっていた。

 


「…その気ねぇ」
 本音を伝えると、祐樹は気分を悪くしたようだった。
「樹里ちゃんのドコが気にいらねぇんだよ?あんなイイコいねぇよ?お前にはもったいないくらいなんだぞ?!その気が今はなくても、付き合ってみれば変わるかもしれねぇだろ?なぁ、思い切って付き合ってみろよ!」
「無理」
 気持ちが変わるなんてコトが起きるとは、考えられない。きっと、無理。
 はぁぁぁぁ〜と、祐樹がわざとらしいくらいの大きな溜息をついた。
「…ったく、もったいねぇな。あ〜〜〜〜、樹里ちゃんに何て言えばいいんだよ。幸にも責められそうだしよぉ…。俺たちがケンカしたら、蒼のせいだからな」
 祐樹がベランダにしゃがみこんで、頭を抱えた。
「悪い、な」
 謝ると、祐樹がちらりと俺を見上げた。
「なぁ、他に好きなヤツでもいんのか?」
   …ドキン
「……いねぇけど」
「んだよ、それぇ〜!なんでダメなのか説明出来ないじゃねぇか」
 好きなヤツなんていないけど、胸が騒がしくなった。
 祐樹がまた頭を抱えたのをいい事に、空に向かって大きく深呼吸した。
 ……静まれ、心臓。
 俺に好きなヤツなんて、いない。

 

 ――――午後四時五分


「二宮先輩、話があるんですけどいいですか?」
 下駄箱で玉木に引き止められた。待ち伏せでもしてたのか、すげぇいいタイミング。
 いつもみたいに笑ってる顔じゃなくて思い詰めたような顔してたから、邪険にするわけにもいかなくなって玉木の後についていく。
 話をする場所として玉木が選んだのは、学校の屋上だった。
 ぽつぽつと人がいたせいか、屋上の隅の方まで行ってから玉木の足が止まる。
 そして、俺の目を見た。
「二宮先輩、好きです。私と付き合ってください」
 まっすぐな眼。きゅっと結ばれた唇。…真剣そのものな空気。
 なんで、俺なんかを好きになっちまったんだろう…?
 祐樹が言うように、俺にはもったいくらいのいい子だと思った。
 だからこそ、中途半端な気持ちで返事しちゃいけないと思った。
 きっと、俺はこの子を好きになる事はないから。
「…ごめん。付き合えない」
 彼女に向かって、頭を下げた。誠意を見せるには、これしかないと思ったから。
「理由はなんですか?好きな人もいないって聞きました。それなのに付き合えないっていう理由が知りたいです」
 頭を上げると、玉木は口調とは裏腹に今にも泣き出しそうな顔をしていた。

 


「好きなヤツはいねぇ……けど、気になるヤツなら、いる」

 


 自分で口にした台詞なのに、後半は自分が言った台詞じゃないようだった。
 考えたわけでもなく、ぽろっと口から零れ落ちていた。
「……わかりました。二宮先輩、一つお願い聞いてもらえますか?」
「なに?」
「一度だけ、キスして下さい。それで、先輩の事あきらめますから」
「……え?」
 玉木が、眼を閉じた。
 睫が、震えてた。
 俺は一歩近付いて、小さな肩に手を置いた。
 けど、それ以上身体が動かない。
 キスなんてたいしたことじゃないのに。挨拶代わりみたいなモンじゃねぇか。
 なのに、彼女の唇に触れることが出来ない。

 


「……ごめん」
 小さな肩から手を引いて、一歩後去った。
「二宮先輩は、その人の事好きなんですね」
 眼を開けた玉木の頬には、涙が伝ってた。
「気になるって事は、もう好きって事ですよ。…私がそうでしたから」
 そして、笑った。
 涙を零しながらも、笑ってみせてくれてる。この子は、強いと思った。
「…本当に、ごめん」
 俺はもう一度、頭を下げた。
「二宮先輩、さようなら」
 次に頭を上げたときには、玉木の後ろ姿は小さくなっていた。
「ごめん…」
 彼女には聞こえないだろうけど、もう一回謝らずにはいられなかった。
 一人残された屋上で、柵に凭れて座り込む。
 なんで、彼女にキスのひとつすら出来なかったんだろう…

 


  “気になるって事は、もう好きって事ですよ”

 


 玉木が残した言葉が、頭の中でグルグルと回ってる。
 ポケットの中に手を入れて、携帯を取り出してメモリーを呼び出す。

 

   《 青井 司 》

 

 呼び出したメモリーに連絡するわけでもなく、ただ画面を見つめた。
 俺は青井としかキス出来なくなっちまってんのかな…ただの、ヘンな関係の友達なのに。
 友達なのに、青井の唇には触れたくなってキスされたくなる。
 頬に手を添えられて、眼鏡が少し顔に当たって、柔らかい感覚が訪れて……優しい微笑みに包まれる。
 思い出しただけで、身体が熱を持つ。
「……ったく、何なんだよ」
 熱くなりだした身体をもてあましつつ、色を変えつつある空を見上げた。

 

 答えは、すでに見えているのかもしれない。

 

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