■奏鳴曲〜君だけに奏でる恋歌〜 第11話

 

 ――――土曜、午後七時二十分


「蒼ちゃん、落ち着きないじゃない。誰か待ってるの?」
「あ、いや、そんなことないっすよ!」
「ふ〜ん…そう?」
 ライブハウスの入口が開く度に視線が行ってしまう俺を見て、トーコさんがにやりと笑った。まるで見透かされているようだ。
 別に待ってるとかじゃなくて、先週気まずくなったりしてたから、今週は来るのかな〜ってちょっと思っただけだ。うん、それだけ。
 また、ドアが開いた。反射的に視線がそこへ向かう。
 数人がまとまって入ってきて、その後ろに青井の姿があった。
「ビールくれる?」
「お、おぅ」
 青井がビールのオーダーだった事に、ほっとしてしまう。ビールを飲みながらライブを見ずに俺と話を始める、いつもの青井だった。
 今夜は背中を向けられずに済みそうだ。
「どうかした?」
「え、何が?」
「俺の顔じっと見てるから、何か言いたい事でもあるのかと思った」
   …ドキン
「いや、別にねぇけど…」

 


 “気になるって事は、好きって事ですよ”

 


 玉木があんな事言うから、青井の事を意識してしまってる。
 無意識のうちに青井を見てしまってるし、些細な言葉、何気ない仕草まで気になって、普通に接しようと思えば思うほど空回りしそうになる。
 まだ周りが騒がしいから助かってるけど、静かな空間に二人っきりだったら窒息してしまうかもしれない。
 青井が、後ろを向いた。さっきまでの表情から一転して、無表情に変わる。
 どうしたんだろうと思ってカウンターから少し身を乗り出してみたら、青井の服を女性が掴んでた。
「司がココに来てるってウワサ、本当だったんだ」
 青井の彼女、だ。顔つきからして、明らかに怒ってる。
 青井は特に驚いた様子も動揺する素振りも見せてないのに、第三者である俺の方がハラハラしてしまっていた。
 それに、ちょっと気まずくも感じてる。
「何か用?」
「何か用じゃないわよ!バンドも組んでるって聞いたけど、そんなコト一度も言ったコトなかったわよね!?なんで教えてくれなかったの?」
 彼女の手が、苛立ったように青井の袖を揺らした。
 しばらくはさせたいようにさせていた青井も、さすがに不快に思ったのか彼女の手を払った。そして、彼女と向き合った。
「言わなきゃいけない事でもないだろ?」
「なにソレ!?言わなきゃいけないとかそういうんじゃなくて、彼女としてはそういうのは全部言って欲しいのよ!他人から聞かされた私の立場のなさがわかんないの?前から思ってたけど、司って冷たいよね。…ううん、最近は冷たいどころじゃないわよ!携帯鳴らしても出ないし、学校以外で会わなくなったよね!?私から行かないと、会いに来てもくれないわよね!?自然消滅でも狙ってるわけ?私がそれで黙ってると思ってる?」
 彼女がまくし立てても、青井は動じない。ただ黙って彼女の言い分を聞いていた。これが修羅場ってやつなんだよな…すげぇ、迫力。
 学校で見てた分には、うまくやってるモンだと思ってたけど違ったんだ。
「わかった、他に女でも出来たんでしょ?だから、私には触れてもこないんでしょ?誘いに乗ってこなくなっちゃったもんね」
 他に、女…?
 その言葉に、胸がずきりとした。
 …んだよ、この反応。これじゃ本当に、俺が青井の事を好きみてぇな反応じゃねぇか。
 静まれよ、心臓とココロ。
 そんなはず、ねえだろ…?

 


 青井と彼女の修羅場をこれ以上見ていられなくなって、カウンターの下にしゃがみこんだ。
 地鳴りのような演奏と、興奮した客の足音しか聞こえなくなる。
 アルコールでも飲みたい気分、だ。ビール一杯くらい飲んでもバレねぇかな?おじさんもたまにライブ見ながら飲んでる時あるし…おじさん、今夜も飲みに行くんかな。そしたら一人で部屋で飲むのもアリだよな…なんて、違う方向へと意識を飛ばすように心掛けてみる。
 ビール何本かくすねてもわかんねぇかなぁ…つまみあったっけなぁ……
  パァンッッ!
 爆音の中、微かに甲高い音が聞こえた。反射的に立ち上がると、青井が横向いてて彼女の手が不自然な位置で止まってた。
「最っ低!!アンタなんか、私から振ってやるわ!!」
 その一言で、修羅場が終わった。彼女は走ってライブハウスを出て行ってしまった。
 青井が頬をさすりながら、俺の方を向いた。
「悪い、よくないもの見せちゃったな」
 青井の左頬が、薄暗い室内でもわかるくらいに赤くなってた。
「殴られたのか?」
「強烈な一発だったよ。口の中も少し切れたみたいだ」
 爆音の中でも聞こえたくらいなんだから、相当な力でビンタされたんだろう。
 俺はタオルに氷をいくつか包んで、青井の左頬に当ててやった。
「…サンキュ」
 青井が、ふわりと笑った。
 その顔見たら、胸が跳ねた。
 修羅場が去ったという安心感と、青井が彼女と別れたっていう事実が、正直嬉しい。
 ……あぁ、俺、もうダメかも。認められずにはいられない。
 俺は、カウンターから身を乗り出した。
 そして、青井の唇に自分の唇を重ねた。

 


 俺、青井が好きだ。

 


 触れるくらいの軽いキスをして顔を離すと、きょとんとしたような呆然としたような青井の顔があった。そんな顔、初めて見た。
「二宮からしてくるなんて、初めてだね」
「わ、悪いかよ」
「悪くなくて、困ってる」
 青井の手が俺の頭を引き寄せて、深いキスで返された。
 口の中に、血の味が広がる。
 好きだと実感した後のせいか、それさえも熱くなっちまう要因のひとつになった。

 


 ……好きだから、キス出来てるんだ。

 


 玉木にキス出来なかったのは、青井以外のヤツとキスしたくなかったからだ。
 好きなヤツ以外となんて、キス出来ないんだ。
 そういう事、だったんだ。
 唇が離れると、青井が俺の耳元で囁いた。
「…今夜、泊めて」
 熱を含んだ声、熱い吐息。
 耳に流れた瞬間、騒がしい空間に静寂が降って来た。
「……いいぜ」
 断る理由なんて、俺の頭の中にはどこを探してもみつからなかった。

 

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