――――土曜、午後七時二十分
「蒼ちゃん、落ち着きないじゃない。誰か待ってるの?」
「あ、いや、そんなことないっすよ!」
「ふ〜ん…そう?」
ライブハウスの入口が開く度に視線が行ってしまう俺を見て、トーコさんがにやりと笑った。まるで見透かされているようだ。
別に待ってるとかじゃなくて、先週気まずくなったりしてたから、今週は来るのかな〜ってちょっと思っただけだ。うん、それだけ。
また、ドアが開いた。反射的に視線がそこへ向かう。
数人がまとまって入ってきて、その後ろに青井の姿があった。
「ビールくれる?」
「お、おぅ」
青井がビールのオーダーだった事に、ほっとしてしまう。ビールを飲みながらライブを見ずに俺と話を始める、いつもの青井だった。
今夜は背中を向けられずに済みそうだ。
「どうかした?」
「え、何が?」
「俺の顔じっと見てるから、何か言いたい事でもあるのかと思った」
…ドキン
「いや、別にねぇけど…」
“気になるって事は、好きって事ですよ”
玉木があんな事言うから、青井の事を意識してしまってる。
無意識のうちに青井を見てしまってるし、些細な言葉、何気ない仕草まで気になって、普通に接しようと思えば思うほど空回りしそうになる。
まだ周りが騒がしいから助かってるけど、静かな空間に二人っきりだったら窒息してしまうかもしれない。
青井が、後ろを向いた。さっきまでの表情から一転して、無表情に変わる。
どうしたんだろうと思ってカウンターから少し身を乗り出してみたら、青井の服を女性が掴んでた。
「司がココに来てるってウワサ、本当だったんだ」
青井の彼女、だ。顔つきからして、明らかに怒ってる。
青井は特に驚いた様子も動揺する素振りも見せてないのに、第三者である俺の方がハラハラしてしまっていた。
それに、ちょっと気まずくも感じてる。
「何か用?」
「何か用じゃないわよ!バンドも組んでるって聞いたけど、そんなコト一度も言ったコトなかったわよね!?なんで教えてくれなかったの?」
彼女の手が、苛立ったように青井の袖を揺らした。
しばらくはさせたいようにさせていた青井も、さすがに不快に思ったのか彼女の手を払った。そして、彼女と向き合った。
「言わなきゃいけない事でもないだろ?」
「なにソレ!?言わなきゃいけないとかそういうんじゃなくて、彼女としてはそういうのは全部言って欲しいのよ!他人から聞かされた私の立場のなさがわかんないの?前から思ってたけど、司って冷たいよね。…ううん、最近は冷たいどころじゃないわよ!携帯鳴らしても出ないし、学校以外で会わなくなったよね!?私から行かないと、会いに来てもくれないわよね!?自然消滅でも狙ってるわけ?私がそれで黙ってると思ってる?」
彼女がまくし立てても、青井は動じない。ただ黙って彼女の言い分を聞いていた。これが修羅場ってやつなんだよな…すげぇ、迫力。
学校で見てた分には、うまくやってるモンだと思ってたけど違ったんだ。
「わかった、他に女でも出来たんでしょ?だから、私には触れてもこないんでしょ?誘いに乗ってこなくなっちゃったもんね」
他に、女…?
その言葉に、胸がずきりとした。
…んだよ、この反応。これじゃ本当に、俺が青井の事を好きみてぇな反応じゃねぇか。
静まれよ、心臓とココロ。
そんなはず、ねえだろ…?
青井と彼女の修羅場をこれ以上見ていられなくなって、カウンターの下にしゃがみこんだ。
地鳴りのような演奏と、興奮した客の足音しか聞こえなくなる。
アルコールでも飲みたい気分、だ。ビール一杯くらい飲んでもバレねぇかな?おじさんもたまにライブ見ながら飲んでる時あるし…おじさん、今夜も飲みに行くんかな。そしたら一人で部屋で飲むのもアリだよな…なんて、違う方向へと意識を飛ばすように心掛けてみる。
ビール何本かくすねてもわかんねぇかなぁ…つまみあったっけなぁ……
パァンッッ!
爆音の中、微かに甲高い音が聞こえた。反射的に立ち上がると、青井が横向いてて彼女の手が不自然な位置で止まってた。
「最っ低!!アンタなんか、私から振ってやるわ!!」
その一言で、修羅場が終わった。彼女は走ってライブハウスを出て行ってしまった。
青井が頬をさすりながら、俺の方を向いた。
「悪い、よくないもの見せちゃったな」
青井の左頬が、薄暗い室内でもわかるくらいに赤くなってた。
「殴られたのか?」
「強烈な一発だったよ。口の中も少し切れたみたいだ」
爆音の中でも聞こえたくらいなんだから、相当な力でビンタされたんだろう。
俺はタオルに氷をいくつか包んで、青井の左頬に当ててやった。
「…サンキュ」
青井が、ふわりと笑った。
その顔見たら、胸が跳ねた。
修羅場が去ったという安心感と、青井が彼女と別れたっていう事実が、正直嬉しい。
……あぁ、俺、もうダメかも。認められずにはいられない。
俺は、カウンターから身を乗り出した。
そして、青井の唇に自分の唇を重ねた。
俺、青井が好きだ。
触れるくらいの軽いキスをして顔を離すと、きょとんとしたような呆然としたような青井の顔があった。そんな顔、初めて見た。
「二宮からしてくるなんて、初めてだね」
「わ、悪いかよ」
「悪くなくて、困ってる」
青井の手が俺の頭を引き寄せて、深いキスで返された。
口の中に、血の味が広がる。
好きだと実感した後のせいか、それさえも熱くなっちまう要因のひとつになった。
……好きだから、キス出来てるんだ。
玉木にキス出来なかったのは、青井以外のヤツとキスしたくなかったからだ。
好きなヤツ以外となんて、キス出来ないんだ。
そういう事、だったんだ。
唇が離れると、青井が俺の耳元で囁いた。
「…今夜、泊めて」
熱を含んだ声、熱い吐息。
耳に流れた瞬間、騒がしい空間に静寂が降って来た。
「……いいぜ」
断る理由なんて、俺の頭の中にはどこを探してもみつからなかった。