■奏鳴曲〜君だけに奏でる恋歌〜 第5話


 ――――月曜、午前九時二十分


 鞄を枕にして、美術準備室の床に寝っ転がる。一時間目からどころか教室にすら行かないで、ココに直行しちまった。
 それもこれも、みんなアイツのせいだ。
 あのヤローのおかげで、俺はおかしくなっちまった。
 まず、唇がヘンだ。
 柔らかい感覚が、ずっとつきまとってやがる。
 ほんの一瞬の感覚だったのに、それが離れないってどういう事なんだよ…。
 拭っても拭っても、取れやしない。
 あと、頭もヘンだ。
 昨日もイカすバンドのライブだったのに、全然ノレないし、オーダーも聞き間違えが多かったし、トーコさんにも「気が抜けてる」なんて言われちまったし…ちくしょう。
 あのヤローがふざけた事するからだ!ふざけんのにも程があるっっ!!
 何が「誉めてくれたお礼」だよ!?CDの次はキ、キスってなんなんだよ!?
 ちょっと誉めただけで…いや、くやしくて誉めてもいなかったハズなのに、いちいちあんなのでお礼されてたら余計素直に誉められなくなるじゃねーか!!

 


 もしかしてアイツ、他のファンにも同じ事してんのかな?
 アイツなりのファンサービスとか?…にしても、男にまでやることねぇよなぁ。
 それともビール一気飲みしてやがったし、酔っぱらった勢いか!?酔うとキス魔になる奴っているっていうしなぁ…。
 あーーーどっちにしても、タチが悪い!!キス魔だ、奴は!!!
 ゴロゴロと寝返りを打って、鞄の中からイヤホンを引っ張り出して耳につける。
 流れてくるのは、《不即不離》のメロディ。しっかりBGMの定番になっちまった。
 曲はすげーいいんだよ、ベースラインも文句なし。
 ……でも、弾いてる奴がなぁ。

 


 一時間目終了のチャイムが鳴った。
 このまま二時間目もサボっちまおうかな〜なんてぼんやり考えてたら、準備室のドアが開いた。慌てて身体を起こすと……
 アイツが、入ってきた。
 思わずドキンとしちまった自分に凹む。
「やっぱりココにいたか」
 うわ、フツーに話しかけてきやがった。どういう神経してやがんだ!?
 あ、やべぇ。また頭と唇が、あの感覚を思い出してきちまった。
「朝からサボるなんて珍しいな。遅刻でもした?」
「…べ、別に、だりーからサボっただけだ」
「ふーん、次の時間は出るんだろ?」
 青井が、俺の隣に座った。胸がドキンからドキドキと断続的なものに変わる。
 俺だけこんなに動揺してるのがくやしくなって、青井に悪態をつきたくなった。
「もうテメーには、ビール出さねぇ」
「なんで?」
「…だって、酔うとキ、キス魔になるんだろ?」
 そう言ってやると、青井は一瞬「は?」って顔して、その後すぐに噴き出しやがった!
「なんで笑うんだよっっ!?」
「……っ、悪い、悪い」
 そう謝ってきつつも、まだ肩を震わせて笑ってやがるし!!
 …でも。
 思いっきり笑われてムカツク所なのに、コイツもこんな風に大笑いする事があるんだなあ…って少し驚いた。
 教室で大笑いしてるのも見たことないし、どっちかというと一人でいる事が多い奴だから、こんな姿見る機会もなかった。すげぇレアな光景だ。
「あー…二宮は、ほんと面白いよ」
 青井はメガネを外して、目尻の涙を拭った。薄茶色の瞳が、潤んでる。
 裸眼の方が女子にもウケがいいんじゃないか?
 メガネで隠してるのはもったいないかも…なんて、思わずマジマジと青井の顔を見てしまう。

 


「…別に」
   …ドキン!
 青井が眼鏡を外したまま、俺との距離を詰めてくる。
「な、なんだよ」
 裸眼の目が近づいてきて、俺の顔がまた熱くなってくるのがわかる。
 だから、なんで赤くなるんだよ、俺っっ!!!
 青井の顔がすぐ近くまで来て、俺の顔の横に行ったかと思うといつもより1トーン低い声が耳に届いた。
「アルコールが入ってなくても、二宮とキスしたいけど」
    …ドクン
「なに言って…」
 言い返す前に、唇にあの感覚が戻ってきた。
 柔らかくて、頭から離れないあの感覚が、今、ある。
 この前と違うのは、その感覚が一瞬じゃないってこと。
 離れた…と思うと、また触れて。
 唇をついばむようにされたと思ったら、しばらく離れなかったり。
 唇を、少し吸われたり…
 自然に、目が閉じてた。
 抵抗も、出来なかった。
 ただ、何度も押し寄せる感覚に身を任せてた。

 

   キーンコーン カーンコーン…
 二時間目の予鈴が鳴った。それを合図に、青井の顔が離れていった。
 目を開けると、青井は眼鏡をかけていつもの学校にいる青井に戻ってた。
 でも、口には穏やかな笑みを浮かべて俺を見てた。
 「サンキュ」って言った時と、同じ表情。
「タイムアップ、だ。教室戻るぞ」
  ……はっ。
 青井が俺の鞄を持って、出口へと歩き出した。俺は頭を二、三度振ってから後を追う。
「かっ、鞄返せ!」
「ちゃんと教室に来る?」
「い、行くよっっ!」
 半分脅迫されてる気もしたけど、鞄だけ教室に持っていかれても不自然極まりない。
 青井が、足を止めた。俺に鞄を返して、そのまま俺の頭を撫ぜた。
 その行動で、俺の顔は一段と熱くなってしまう。
「真っ赤だよ、二宮」
「うっ、うるせーーー!!この、キス魔っっ!!」


 


 青井のひとつひとつの行動に、惑わされる。
 青井のひとつひとつの行動に、ハテナマークが生まれてくる。
 そして、自分の反応のおかしさに訳がわからなくなってくる。

 


 青井もわけわかんねぇけど、自分もわけわかんねぇ!!!

 

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