夜になって雨は止むどころか、ますます強くなった。
大雨警報も発令。店の中に雨風が吹き込んで来て、いつもより早めに閉店した。
その分自由時間が増えたけど、見たいテレビもないから作詞用のノートを広げてみる。
雨の日はコレっていう詞は浮かばないけど、せっかく時間もあってナツからも曲も届いた事だしペンを持ってみる。
けれど、思い浮かんだ単語を書き出すだけの作業も全く進まない。ペンもぐちゃぐちゃとした円を描くばかり。
やっぱ雨の日はダメか…と諦めかけた時、姉貴の声が聞こえた。
「れーーーおーー!!悟ちゃん来たよーー!」
……は?悟史?!
咄嗟に窓を見たけど、まだ雨が勢いよく打ち付けてる。
雨で夜ランニングもない筈なのに、なんで来たんだ?
作詞用のノートを枕の下に隠してる内に、大きな足音が部屋に近付いてきた。
この足音は間違いなく悟史だ。ドンドンと力強いノックも存在を証明する。
「玲音、入るぞ」
「おぅ」
勢いよくドアが開いて、パーカーとジーンズ姿の悟史がコンビニ袋を提げて入って来た。
傘だけじゃ間に合わなかったのか、パーカーや短い前髪が少し濡れてる。
制服やジャージ以外の格好を見るのが久々過ぎて、不覚にも胸が跳ねた。
……、ダッセ。
「どうしたんだよ、雨だっていうのに」
「家にいてもダラダラしちまうだけだからさ、コンビニ行きがてら寄ってみた。……これ、玲音の分な」
机の上に置かれたのは、カフェオレ。俺の好きなメーカーのやつ。
「…どーも」
こんな些細な事で大げさに騒ぎたくなるくらい嬉しく思ってしまうなんて、乙女思考っぷりに我ながら虫唾が走る。
「流石にこれだけ降ってると走れねぇよ」
「そうだな」
ベッドに寄りかかるように悟史は座って、果汁100%のジュースに口をつける。
ランニングがない日も健康的な飲み物ってか。
……そうだ。
「悟史、コレ食う?」
青井に買って来て貰った北海道土産を、悟史の前に置く。
悟史は箱のパッケージを見るなり、顔が一気に綻んだ。
「すげぇ!コレ俺が大好きなヤツじゃんっ!食っていいのか?」
「いいから出してんだろ」
「いただきまーす!」
パンッ、と手を合わせてから、箱を開けて菓子をうまそうに食いだす悟史。
「やっぱコレうまいなー。物産展にもなかったんだよな」
「物産展、行ったのかよ」
「お袋の荷物持ちでな」
そう話しながらも、悟史はすでに三つ目を食べ始めていた。
俺にはこの菓子は甘くて、口に入れてはみたもののすぐにカフェオレで口直しをする。
「ほんと、お前顔に似合わず甘党だよな」
「そうか?コレはそんなに甘くないぞ」
「甘いって」
「玲音が甘いの弱すぎんだよ」
悟史が笑うと、空気がほわっと緩む。
こんな風にのんびりとしゃべんの久しぶりだ。
青井に頼んで買って来てもらった甲斐があったな…。
「そっか。二年が修学旅行だったっけ。また女からの貢物か?」
「ばーか、違うよ。青井に土産で貰ったんだよ」
菓子に伸びようとした手が、なぜかぴたっと止まった。
ほわっとした空気が、すっと消える。
「悟史?」
「あのさ、お前ソイツに抱きついてただろ?ああいうのやめろよな」
「はぁ?見てたのかよ」
「直接は見てないけど、クラスの女子共が騒いでりゃ嫌でも耳に入るだろ」
「ちょっとふざけてただけだって」
「ふざけるのも相手選べよ」
「相手?それって、青井がダメってこと?」
悟史がこんな事を言い出す事自体が珍しい。他人の噂話なんて我関せずなヤツなのに。
がしがしと頭をかきながら悟史は言う。
「そいつ、女でも男でも節操がないらしいじゃないか。付き合ったとしても身体しか興味がないって聞くし」
「はぁぁぁ!?誰から聞いたんだよ、そんなデマ」
「デマじゃない。そいつの元カノから聞いたんだから確かだろ?」
カチン、ときた。
仲間を悪く言われて腹が立たないワケがない。
それに幼馴染の俺よりも、青井の元カノの女の言い分を信じてる事も……ふざけんなよ。
「青井は俺の大事な仲間だ。他の奴らが何言ってるか知らねぇけど、俺はアイツの方を信じっから」
「玲音の仲間だっていうのはわかってるよ。けどな…」
「けども何もねぇよ。悟史はアイツとしゃべった事もないんだろ?それなのに、他人からの悪口だけ聞いただけなのに俺に忠告すんな」
「…………」
悟史が、黙ったまま俺を見てる。
小さい頃は小さいケンカなんてありふれた日常だったのに、今は口ケンカすることすらなくなってるから非日常になった時間に戸惑う。
それでも、悟史が言った事は許せない。
この時間に負けて弱くなってしまいそうな自分を抑えて、強く振る舞おうとする俺が悟史を睨んでみせる。
「俺は相手選んでフザケたり、付き合ったりしてっから。余計な噂に流されてる暇あったら、走る事だけ考えてろよ」
……お前の背中に抱きつけないから、青井の背中を代わりにしてるなんて知らないクセに……
「帰る」
不機嫌そうな声を発して、悟史が立ち上がって背を向ける。
広くて大きくて筋肉質な背中。
身長が同じでも、やっぱり悟史と青井は違うんだって実感する。
ぱたん、と静かにドアが閉まって存在が消える。
入ってきた時と出て行く時の違いに、余計淋しさと苛立ちが募る。
残されたのはぐちゃぐちゃな感情と、半分以上残ったアイツが好きな菓子。
「俺が甘いモン苦手だって知ってんだろ……」
自分では食べない菓子、アイツが好きだから買って来てもらった菓子。
喜ぶ顔が見たかっただけなのに、なんでこんな気分にならなけりゃならないんだろ。
悟史は知らない。
俺がお前に対してどう思ってる、とか。
普通の友達だったら流せるような事でも、イチイチ気に留めてしまう事とか。
男が男を好きになることがあるって事も。
それがすごく身近に、しかも自分がターゲットにされている事も。
全部、全部、知らない。
包み紙よりもぐちゃぐちゃな感情。
紙みたいに細かく切り刻んで捨てられればいいのに。
細かく、細かく、塵になって、この雨で溶けて無くなってしまえばいいのに。