「あんた、悟ちゃん苛めたでしょ?」
閉店作業していた俺の頭を、丸めた新聞紙で姉貴が何度も叩く。
「苛めてねーよ」
「昨日、悟ちゃんに玲音はいないって言ったら、しょんぼりした犬のようだったよ。可哀想に」
「犬って…。あんなでっけー犬いないだろ」
突っ込みを入れる俺に構わずに、姉貴が丸めた新聞紙を今度はぎゅっと抱き締めた。
「そういうコトじゃないのよ。あの表情はまさに抱き締めてあげたいくらいのワンコっぷりだったわ。いつも堂々としてるコがしょんぼりしたりしてると母性本能くすぐられちゃうのよね〜」
「姉貴にも母性本能なんてあったんだ」
「なんですって?」
「なんでもない」
「ほんっっと可愛げがないんだから、アンタはっ!常連のおばちゃん達がアンタ目当てに来てる気持ちがわからないわ。あぁ、わからないっ」
そんなの俺も知るか、って言いたかったけど、これ以上姉貴と言い合っても疲れるだけだから違う話題に切り替える。
「それより、このバナナ貰っていい?」
「……ん?いいんじゃない。……あ、そう。仲直りはしたのね。なら、いいわ」
話題を切り替えたら、まんまと会話終了。
姉貴は俺が生ジュースを作る=仲直りした、と解釈したらしく言いたい事だけ言ったら満足したのかさっさと去って行った。
どうせ文句言うなら、閉店作業も手伝って行けって感じだけど一人の方が捗るから言わない。
……そっか。
昨日は悟史の奴、姉貴の前でもしょんぼりしてたのか。反省したって言ってたもんなぁ。
アイツの事だからすぐに謝ろうとして店に来たんだろう。
俺が帰って来るの待ってたくらいだし、その日のうちに決着付けてスッキリしたいアイツらしい。
逃げていた俺とは違うな、って改めて思う。
それにしてもアイツが犬って……。
犬耳を付けてしゅんと体育座りしてる悟史を想像しちまって、思わず笑ってしまった。
似合わないと思ってたけど、案外似合うかも知れない。
生ジュース出来るまでのアイツも「待て」って言われた犬に見えちまうかも。
「……いてっ!」
アイツを笑った罰が当たったのか、鋭い痛みが足に走った。
いつもは錆のせいで動きが鈍いシャッターが、同じ力で引いたのにもかかわらず勢いよく降りて来て足の甲を挟んでしまった。
すぐに足は引き抜いたものの、あまりの痛さに声にならずその場にしゃがみ込む。
店の外側から閉めたから、道路側にうずくまる俺。
通行人から見たら何やってんだコイツって感じだよな、超ダセェ。
しかも靴じゃなくてサンダル履いてたから余計痛い。ジンジンとした痛みと痺れが走る。
早く家に入りたいけど、痛みに堪えるしか出来ない。
「玲音!どうした?」
軽快な足音が近付いて来て、頭上から聞き慣れた声がした。
それが誰だか顔を見なくても声でわかる。タイミング悪いったらありゃしない。
やっぱ犬に見えるって事を笑った罰としか思えない。
「足、どうかしたのか?」
「シャッターに挟んだ」
「何やってんだよ。見せてみろ」
「いってっ!触んなっ!」
悟史は俺の言う事には耳もくれず、痛む足を触ってくる。
「靴下の上からだからわかんねーけど、少し腫れてんじゃないか?」
「〜〜〜っっ、わかったからっ、もう触るなっ」
「ったく、ドジだな」
「ドジで悪かったな」
はぁ、って悟史が呆れたような溜息を発した。この状況はなんか屈辱的だ…
「乗れ」
「は?!」
乗れってドコに?って疑問に思う暇もなく、悟史がしゃがんで俺に背中を向けていた。
いわゆるこの体勢は、おんぶ、ってヤツ!?
「や、やだよ!はずぃな!」
「恥ずかしがってる場合かよ。いいから乗れ」
「お前、大げさだよ。一人で歩けるってば」
「おぶられるのが嫌なら、お姫様抱っこっていうのやってやろうか?そんでお前の姉ちゃんの前まで…」
「わかった!わかったよ!乗ればいいんだろっ」
「そうそう。乗ればいいんだよ」
姫抱っこされてる姿なんて姉貴に見せたら、ウザイくらいしつこく冷やかしてくるに違いない。ヘタすりゃ写メられて、ずっと脅される。
俺が嫌がる事を知ってるトコも幼馴染の嫌な所だ。
渋々悟史の背中に乗ると、ひょいっと身体が宙に浮いた。
−−−あ、違う。
背中に手を添えた瞬間わかった。
青井と似てると思い込んでいた背中は、全くの別モノだった。
鍛えられた筋肉が程よく背中にもついていて、堅くてゴッツくて……熱くて。
全然青井と違う。代わりにしていたのが申し訳なかったと考えてしまうくらい違う。
これが、今現在の悟史の背中。
「軽いな〜、玲音。また痩せたか?」
「痩せてはない…と、思う」
「ちゃんと食えよな」
悟史が笑う。その振動が背中に伝わって、俺にも伝わる。
どうしよう、どうしよう。
俺、コイツが好きでたまんないって気持ちが溢れそうになる。
溢れる水面ギリギリ。ちょっと揺れたら溢れるくらい。
足の痛みより、心臓が痛い。
気持ちが溢れないように、零れないように、栓をするように、悟史の首にぎゅっと腕を回すと汗の匂いがした。
普通は嫌がるその匂いでさえも愛しく感じてしまう俺は重症だ。
「やっぱ痛いの我慢してたんだろ?家に入ったら、湿布貼ろうな」
なんにもわかってない悟史は、優しい声で慰めるように言う。
「もし明日になっても痛かったり腫れてるようなら、ちゃんと医者に行けよ。わかったか?」
「……、うん」
「お。素直じゃん」
「うっせ」
「裏口の鍵は開いてるか?」
「おぅ」
短い言葉で返すのが精一杯。
長い言葉なんて言ってたら、言っちゃいけない事まで言ってしまいそうだったから。
ホンモノを知っちゃったら、もう代わりなんて誰にも出来ないじゃんか。
言えない本心が触れてる部分からダイレクトに伝わればいいのに。
……でも、それは悟史を困らせるだけ、か。
せめて。
この先もう触れられない背中の感触を、自分の身体にインプットしよう。
この感じろ、覚えろ、忘れるな。
足の痛みよりも、このキモチを鎮める薬が欲しい。