掌がビリビリと痺れてる。
腕も足もパンパンに張ってる。
それらに反比例するかのように、心地いい満足感に包まれる。
今夜のライブもいい空気だった。
この空気はヤミツキになる。
ライブ終了後、楽屋に戻って汗にまみれたシャツを脱ぐ。
シャワーを浴びたいくらいだが、ライブハウスにある訳もなく贅沢は言ってられない。
「玲音、喉に熱持ってないか?」
ミネラルウォーターをごくごくと飲んでいる玲音に問いかけると、すかさずOKサインを指で作ってよこした。
あまり汗をかかない体質らしく、見た目は涼しい顔をしている。目元に施したメイクの崩れすらない。
新陳代謝がよく汗っかきの俺とは正反対だ。
「ねぇ、リーダー」
「なんだ?」
「あっちにショートしてるのいるけど」
玲音の目線の先を辿ると、床に突っ伏してるナツの姿。
「またか…。ナツ、大丈夫か?」
顔を上げる気力もしゃべる余力もないのか、よれよれとした手だけ上げてピースサインを返される。
ステージ上を所狭しと動き回るナツは、ライブ終了後は電池切れになってしばらくは使い物にならない。
熱くなった全身を、冷たいコンクリートの床で冷やすのが恒例。
完全燃焼するのはいいが、もうちょっと体力をセーブするというコトを覚えて欲しいんだが、な…。
「氷でも貰ってくるか。玲音はどうする?」
「俺は水があるから平気」
「青井は…、と、アイツはもういないのか?」
「さっき出て行ったよ。次のバンドの演奏でも見てんじゃない?」
「そうか」
ここ数回のライブで気付いた事。
青井がアクティブになった。
行動だけでなく、音も。
以前はライブが終わって打ち上げまでの間は、楽屋で何をするわけでもなくただ座ってる事が多かったのに、この頃は控室にいる事の方が少なくなった。
何か心境の変化でもあったんだろうか…?
そんな事を考えつつライブ中のフロアに入り、氷を貰うために壁沿いを歩いてドリンクコーナーを目指す。
すると、ドリンクコーナーのカウンターにいる銀髪が目に止まった。
銀髪はベーシスト青井のトレードマーク。
金と銀でボーカルの横を固めようっていうナツの提案に文句も言わず、ライブの時だけ銀色に染めている。
眼鏡も外してグレーのカラコンを入れてるせいか、一人だけ変装してるのかってくらい普段との差が激しい。
「……?」
青井のヤツ、ライブを見てるっていうよりカウンターの子と話してるって感じだな。
……へぇ、あんな顔して笑う事もあるのか。
カウンターの子とは余程仲がいいようだ…って、オイオイオイ。
声が出そうになって、思わず口元を押さえた。
周りがライブに夢中になってるのをいいことに、アイツ……キスしてやがる。
そういうことか。それで楽屋にいない訳か…って、ちょっと待て待て。
確かカウンターの子は、ここのライブハウスのオーナーの甥っ子じゃなかったか!?
見た目は中性的で一瞬女子かと思うくらいだが、男だよな!?
「コージ。だめよ、邪魔しちゃ」
「……!!!と、透子さん!?」
真っ黒なゴスロリ衣装に身を包んだ女性……透子さんが怪しく微笑む。
透子さんはこのライブハウスの常連で、出演バンドのご意見番とも言われる存在だ。
年は同じくらいだと思うんだけど、見た目じゃわからないくらいの落ち着きっぷりに思わず敬語になってしまう。
「今夜のステージもパワーを感じてよかったわよ。曲順もイイ感じに並べ替えたじゃない」
「ありがとうございます」
「それに、ベーシスト君の音も人間っぽくなったわ」
「わかりますか?」
「わかるわよ。前はテクニックがあっても、オートマティックな弾き方だったもの。それが勿体無いって思ってたけど、ここ数回はそんな事思えなくなっちゃった」
流石ご意見番と言われるだけはある。
俺が思っていた事を、そのまま言葉で表現されたようだった。
青井と初めて出会ったのは、俺が高2の秋。
本格的にバンドを動かそうって時に、ナツが連れて来た。
細身で背が高く整った顔立ちだけど軽さのカケラもなく、薄いフレームの眼鏡がクールさを際立たせていた。妙に落ち着いてる佇まいに、落ち着きのないナツの方が後輩に見えてしまう。
「コイツ、中学の時のひとつ下の後輩。部活でストリングベースやってたの思い出して声かけたんだ。音感あるし器用だから、エレキベースも出来んじゃねーかと…」
「待て、ナツ。ひとつ下って事は、中3で受験生じゃないか。入試前に無謀な事をさせるな」
「あ、そか!ジュケンセイかー!」
能天気なナツの声に脱力。行動力があるのはいいんだが、計画性がない。
「お前なぁ…」
せっかく来てもらったのに申し訳ないが、断る文句を考えていると彼の方から口を開いた。
「別に平気ですよ」
「え?だって、受験は?」
「松比良先輩と同じ高校の推薦を取る予定です」
「え?俺と同じ高校来んの!?青井は頭いいから、野矢先輩と同じトコ行くんかと思ってた」
「通学が楽な方がいいんで」
無表情にさらりと可愛くないコトを言ったのが中3の青井。
子憎たらしい事に本当に推薦もすんなり通り、エレキベースも短期間で習得してしまった。
しかもそれがどうでもいいことのように、喜びどころか喜怒哀楽を感情に全く出さない。
「こうしよう」「ああしよう」って意見を出されても「いいですよ」「構いません」の一言で飲み込んでしまう。
反論したり、意見を言った事は一度もなかった。
コイツはベースを弾くロボットか…?って思う事も度々。
ただ淡々とベースを弾く。
ただ淡々とライブをこなす。
人に流されやすいから、いつ他のバンドに引き抜かれるかと心配すらしてしまうくらいだった。
それがここ数ヶ月で変わって来た。いい方向、に。
僅かだけど感情が表情に出るようになったり、時たま自分の意見を言うようになったり、なにしろ音が生き生きしてきている。
透子さんの言う通り、ロボットから人間らしくなってきた。
それはいい傾向だと思うんだが、まさか原因が『ココ』にあったとは、なぁ……
「あの子達の事、大目に見てあげて」
心を見透かされたかのようなタイミングで透子さんが言う。
「見守ってあげて、って言った方が正しいかしら。コージには理解出来ないかもしれないけど、同性でも愛し合えるのよ。普通と違うからと言っても、誰にも邪魔する権利はないの」
「……そうですね」
正直、男同士の恋愛事情は理解出来てない。
けれど、目の前であんな風に笑い合ってるアイツらを見たら、邪魔しちゃいけないって事だけはわかる。
いい影響を与え合ってるなら、文句も何も言わない。
悪い方向へ行くようなら、全力で阻止するけれど。
「邪魔しないように、氷貰ってきますよ」
「氷?」
「ナツがまたショートしたんで冷やさないと」
「あぁ、ナッツね。あれだけ動き回ってたらショートもするわ。大変ね、リーダーさん」
「慣れましたよ、もう」
透子さんに苦笑いを向けてから、ドリンクカウンターに向かう。
青井が俺に気付いて、スペースを空けてくれた。
「悪いけど、また氷だけ貰える?」
カウンターの子は嫌な顔ひとつせず「OKですよ」と、氷をカップに入れ始めた。
「またナツさん、ショートしたんですか?」
「あぁ。毎度の如くだよ」
……そういえば。青井の方から話しかけてくれるようになったのも、ここ数ヶ月だったっけ。
どれだけこの子に変えられたんだよ、お前は。
「お待たせしましたぁ。これだけあれば足ります?」
「あぁ、十分。ありがとう。打ち上げもよろしく」
「はいっ」
「青井、打ち上げまでには戻って来いよ」
「わかりました」
氷がたっぷり入ったカップ二つを両手に持って、その場から立ち去る。
背中からまた幸せそうな空気が流れて来たのを感じながら。
見守るさ、俺は。
大切な仲間達の成長を見守るのは、きっと楽しいに違いないから。
所詮、人の恋路には敵わないのだ。