■Rain Drop 第1話

 


「大樹〜、駿くーん、ちょっと私たち出かけてくるからよろしくねー!」
「はいはい、いってらっしゃい」
「…あまり、飲みすぎるなよ」
「わかってます。行ってきま〜す」
 バタンと勢いよくドアが閉まる。
 週に一度、花の金曜日に、俺達の母親はこぞって近所の居酒屋に行く。
 なんでもそれが二人の母親の唯一の楽しみだそうで、物分りのいい二人の息子は笑顔でお見送り。
 あ〜なんて俺達って、母親思いなんだろ。
 ……まぁ、こういう状況を許していること事態、世間一般の息子よりもいい息子だと思うけどね。うんうん。

 

「なに、一人で納得してるんだ?オージュ」
 もう一人の息子が濡れた髪を拭きながらやってきた。
 風呂上がりでメガネしてないせいか、目つき悪いぞコイツ。
「ん〜、べっつにぃ。あ、駿。ミルクティ飲みたいな〜俺」
「自分で作れば?」
「駿が作ったほうが、数千倍おいしいんだもん。作って、作って♪」
「…わかった、わかった。ちょっと待ってろ」
「ラッキー♪」

 


 駿はなんだかんだ言っても、俺の我儘を聞いてくれる。
 人に甘えるのって、すごい好きだって最近気付いた。
 ちょっと前までこんな事考えられなかったし、誰かに我儘言ってみたかったんだ。ずっと。
 だから今、すっごく嬉しいんだ。

 


「氷はみっつね〜」
「わかってる。で、ガムシロたっぷりだろ?」
「そのとーりっ!」
 すっごく、すっごく嬉しいんだ…

 

 三ヶ月前。
 まだ俺が中学三年の冬。高校受験を二週間後に控えたある日。
「大樹。父さんと母さん、別れるから」
 珍しく三人で囲んだ食卓の空気が、一瞬にして固まった。
「大樹は、母さんの方に来るの。父さんがいなくても平気よね」
 反論する間も与えられずに、二人は心を決めきっていた。
 だいぶ前から、父さんは家に帰ってこなかったりしてたし。
 母さんは母さんで、仕事の化粧品のセールスが忙しくて家事なんてやらなくなってたし。
 俺は、いつも一人で家で御飯食べてたし。

 


 ……覚悟は、してたんだ。

 


 今さら、どうでもよかったし。
 『離婚届』にサインする二人を見ても、別に動揺するわけでもなく普通に受験勉強してた。

 

                

 そして第一希望の県立佐川経済大学付属校に合格した頃には、すでに母子家庭が始まって、それなりに馴染んでた…ら。
 またもや、自己中心的な母さんが勝手な事を言い出した。
「ね、大樹。来週引っ越すことにしたから」
 さすがに俺の顔は引きつった。
 だって“合格おめでとう”の言葉もなく、いきなり自分の考え押し付けられて。
 無愛想になっちまうのも、当たり前だ。
 でも、母さんは平然と話を続けてた。
「友達の神野魅夜。…魅夜もね、半年前に旦那さんを亡くしちゃってね。…まぁ、結論から言っちゃうと同居しないかって、話。魅夜んちね、二階建ての一戸建てなのよ。部屋も余ってるらしくってね。それで大樹が通う佐川高も近いし、それに向こうの息子も同じ年で同じ高校受かっててね。ま、兄弟みたいでいいかなーって」

 

 俺は、何も考えずにOKした。
 とにかく、どうでもよくなってた。
 どうでも、よかった。

 

 引っ越し当日。
 ごく少しの手荷物を持って、神野家の門をくぐった。
「いらっしゃい、雪子、大樹君。待ってたわ」
 出迎えてくれた魅夜さんは、母さんよりもずっと若く見えて、いわゆる美人だった。
「大樹君の部屋は、ここの二階よ。大きい荷物はうちの駿が運び終わった所だから、自由に使ってね」
「はぁ…」
 俺はその時、一緒に住むもう一人の息子に対して同情してた。
 こんなにも急に会った事もない母子が、突然同じ屋根の下で暮らす事になるんだぜ!?
 もし文句とか言われたら、とてもじゃないけど言い返せない。
 これからのことを考えると、深いため息ばかりついてた。

 

 ……けど、二階に上がるとその溜息は、感動の溜息に変わった。
 わ、洋室。タタミじゃない。
 しかも、ベットにベランダ。
 目の前の部屋は、俺が長年憧れ続けた理想の部屋そのものだった。
 前の家は市営住宅で、俺の部屋なんて物置もいいとこ。
 この部屋は、まさに理想の『天国のスペース』だ。
「だいき、クン?」
「…あ、はいっ!」
 感動に浸る俺の背後から、ハスキーな声。
 振り返ると、とてもとても同じ年には見えない青年が立ってた。
 目が切れ長で、フチなしのメガネが優等生っぽい。
 髪はうすい茶色で、なんとなく全体的にハーフっぽい。
「よろしく、神野駿だ」
「あ…よろしく。俺…緒野大樹」
 手を差し伸べられて軽く握手した後に、駿はこの家の配置の説明なんかをしてくれて、思ったよりツンケンしてない駿の態度に安心感を覚えてた。
 文句どころか好意的な態度で接してもらって、正直拍子抜けした。
「…“だいき”って、感じでどう書くんだ?」
「ん?大きいの“大”に、樹木の“樹”」
「へぇ……」
 駿はしばらく宙を見て考えてる様子だったけど、すぐに俺を見て笑った。

 


「じゃ、“オージュ”って呼ぶ」
「へ?」
 今まで呼ばれた事のない呼ばれ方に戸惑ってると、駿はふっと笑った。
「なんか、“だいき”より“オージュ”って方が合ってる」
「はぁ…」
「よろしく、オージュ」
 天使の微笑み、って。
 こういう笑顔の事を言うんじゃないか…って、思った。

 

 ………スクワレ、タ。

 

 そう感じた瞬間、涙が溢れた。
 今まで隠れていた感情が一気に弾けだして、俺は駿に支えられて泣きに泣いた。
 泣き終わる頃には、目が真っ赤に腫れてた。
「目が、リンゴの皮だな」
 そう駿に言われて、大爆笑!
 だって、普通『目がウサギ』とは言うけど、『目がリンゴの皮』なんて初めて聞いたよ。
 笑いが収まった頃、もう一回しっかりと握手した。

 

 それから、駿とはすぐに打ち解けた。
 二人の母親は、『兄弟みたい』って安心してる。
 もちろん、駿が『兄』で、俺が『弟』。
 そう言われてしまうほど、駿は俺を甘えさせてくれて、俺も駿に甘えてしまっている。
 きっと、しばらくはこの状況は変わらないだろう。

 

「明日の朝練、寝坊したら置いていくぞ」
「げ。駿〜、起こしてよ」
「たまには目覚ましで、自力で起きろ」
「俺、夢遊病だから、止めたままになっちゃうの」
「………六時にたたき起こすぞ」
「オッケー」

 

 当分、変わらない、な。

 

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